実はすごい人物・マネの魅力をお届けします
こんにちは、日本で一番”敷居の低いアートマガジン”、アートの小道です。
今回は、「近代絵画の父」とも呼ばれるエドゥアール・マネ(Édouard Manet)について、彼の生い立ちや絵画に至った背景、そしてマネの作品を楽しむ方法について詳しくご紹介します。
マネの日本語表記は、「エドワール・マネ」だったり「エドヴァール・マネ」など、サイトなどによっても呼び方は様々ですが、英語表記の発音が正しいものだと思ってもらえれば大丈夫です(笑)
日本ではそこまで人気が高いわけではないですが、実は絵画史で偉大な功績を残したすごい人。
今までマネに馴染みのなかった人でも、彼の作品がもっと身近に感じられるはずです!
エドヴァール・マネの生い立ち
裕福な家庭に育った少年エドヴァール・マネは、1832年1月23日にフランス・パリで生まれました。
父親は高級官僚、母親は貴族の家系という名門の出身で、経済的に恵まれた環境で育ちます。
しかし、そんな彼の幼少期は、家族からの期待と自分のやりたいこととの間で揺れ動くものでした。
父親は息子に法律家や官僚として安定した道を進んでほしいと願っていましたが、マネ自身は芸術や絵画に強い興味を持つ少年でした。
絵画への情熱が芽生えたのは、伯父エドモンの影響が大きかったと言われています。
伯父エドモンは美術愛好家であり、マネをルーヴル美術館に連れて行ったり、絵画の魅力を教えたりしました。
この経験が、後に画家への道を進むきっかけとなります。
絵画を描くに至った理由
挫折からの転機
裕福な家庭に生まれたマネでしたが、画家になるまでの道のりは決して平坦ではありませんでした。
父親の反対もあり、マネは一度は家族の意向に従い、海軍士官を目指して航海学校の試験を受けます。
しかし、試験に落ちてしまい、その道を断念することに。
この挫折が転機となり、「本当に自分がやりたいこと」に目を向ける決心をします。
画家を目指して
19歳のとき、ようやく父親の許しを得て、画家を目指すことを決意。
パリでアカデミック絵画の巨匠トマ・クチュールのもとで本格的に絵画を学び始めます。
そこで古典的な技法や構図を学びつつも、伝統に縛られたあり方に違和感を覚え、次第に自分自身の新しい表現方法を模索していきました。
マネは、パリの街を歩き回りながら現代的な題材を見つけて、日常生活を描くことに情熱を燃やしていきます。
その結果、サロン(当時の公式展覧会)で認められるような伝統的なテーマではなく、自分自身の視点で捉えた「現代の生活」を描く画風へと進化していきました。
マネの挑戦
アカデミズムへの反発
マネが画家として名を馳せたのは、彼の作品が当時の「常識」に挑戦していたからです。
アカデミック絵画では、神話や宗教、歴史をテーマにした重厚な作品が主流でしたが、マネは興味を持たず、日常の生活や人々をテーマにした作品を次々と生み出します。
たとえば、このあと紹介する彼の代表作《草上の昼食》(1863年)は、ピクニックを楽しむ男女を描いたものですが、女性の裸体が宗教的でも神話的でもないただの現代人として描かれている点が、当時の人々にはとても衝撃的なものでした。
伝統的なルールに縛られない表現が批判を呼ぶ一方で、徐々に新しい美術の流れを生み出していったのです。
マネはどんな作品が有名なのか?
マネの有名な代表作には何があるかご存じですか?
ここでは特に有名な作品を3つピックアップします。
《草上の昼食》(1862-1863年)
現代的な服を着た男性たちと、なぜか一糸も服をまとわない裸体の女性がピクニックをしている姿が描かれているこの作品。
この女性のモデルは、マネの作品でたびたび登場するヴィクトリーヌ・ムーラン。
現代人女性のヌードを描いた作品には当時拒否感を示す人も多く、発表したとたんサロンで激しい議論を巻き起こしました。
これまでの伝統的な型を破る「異質さ」が、当時の芸術に対するマネの挑戦として評されています。
《オランピア》(1863年)
オランピアは1863年に制作、1865年にサロン出品され、多くの批判や話題を呼んだ作品です。
ベッドに横たわる女性が描かれていますが、神話や歴史画の理想化された裸体ではなく、現実的で直接的な描写がされています。
「草上の昼食」と同じ女性がモデルとなっていますが、この作品は娼婦を連想させるもので、「オランピア」という名前自体が当時のパリで娼婦を指す俗称でした。
その横には花束を持つ黒人の召使いが描かれていて、当時の社会的階層や人種に関する議論を呼び起こしました。
イタリア人画家・ティツィアーノの《ウルビーノのヴィーナス》(1538年)を参考にした構図を用いていますが、理想化された古典絵画とは異なり、現実の女性として描かれています。
《オランピア》は、マネの作品の中でも特に有名な絵画として、その後のアートの流れを変える重要な作品となりました。
《フォリー=ベルジェールのバー》(1882年)
パリに実在したとされる都会的で賑やかなバーを舞台に、カウンターの女性や背後の大きな鏡に映る風景を描いた作品です。
一見よく見る普通の絵画に見えそうな作品ですが、女性と男性の位置関係に違和感があったり、絵の左上に空中ブランコに乗った人物の足?が映っていたり、不思議なトリックを感じさせる作品として、アートファンの中でも様々な議論が飛び交う作品です。
晩年のマネの集大成とも呼ばれる作品で、「マネの最後の傑作」と評価する人もいます。
マネの作品はどこで鑑賞できる?
実際にマネの作品を鑑賞してみたい!という方もたくさんいますよね。
残念ながら2025年現在、日本国内ではマネの常設展は開催されていません。
ただし、2022年に東京・練馬の絵画展でコレクションとして展示されたように、展示会などで作品が海を渡ってくる可能性もありますので、今後の機会に期待したいですね♪
マネの作品が見れる海外の美術館
・オルセー美術館(パリ)-《草上の昼食》や《オランピア》を含む代表作が数多く収蔵されています。
・ナショナルギャラリー(ロンドン)-《フォリー=ベルジェールのバー》をはじめ、マネの重要な作品が展示されています。
・メトロポリタン美術館(ニューヨーク)-19世紀フランス絵画を数多く展示しています。
海外旅行で現地を訪れるときには、ぜひ観光先の候補に入れてみてください♪
マネの人物像、作品に向き合う姿勢をご紹介しました
エドゥアール・マネは、裕福な家に生まれながらも自分の道を切り開き、絵画で新しい時代を築いた偉大な画家でした。
彼の作品には、当時の社会に対する挑戦や、自分らしさを追求してアートに向き合う姿勢がひしひしと表れています。
次にマネの作品を観るときには、ぜひ彼の想いや背景などを思い浮かべながら、じっくり鑑賞してみてください。
きっといつもとは違った魅力が感じられるはずです♪
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
アートの小道では、これからもアートや芸術の魅力をわかりやすく発信していきます!
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